グレゴリー・ベイトソン『精神の生態学』を読む

次回、5月29日(水)からの自由読書会は、ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリがその影響下に「アンチ・ オイディプス」「千のプラトー」を書いたといわれる、グレゴリー・ベイトソン『精神の生態学(Steps to an Ecology of Mind)』を読みます。(新思索社 改訂第2版 2000年)

われわれの文明は、必要なものを積極的に伸ばすより、好ましくないものを禁止することで事態の打開を図ろうとする傾向が強いようだ。企業の世界にはびころうとする硬直な組織を、われわれは反トラスト法によって食い止めようとするし、しのびよる権力の手を、「市民権」の法制化によって抑えつけようとする。
このように、蚕食してくる変数を抑えようとするのがわれわれの流儀なのだが、そうする代わりに、人々の持っている自由と柔軟性を広く認識させ、それを活かすようにした方が効果的な場合も多いはずだ。
われわれの文明は、身体のエクササイズですら——その本来の役割が、身体の各変数を極限値に持っていくことで柔軟性を確保することにあるにもかかわらず——これを「見るためのスポーツ」にしてしまう。行動の柔軟性にしても、ときどき習慣を破ることで、それを培おうとする人は少ない。映画を見に行くとき、裁判を傍聴するとき、新聞を読むとき、われわれは社会の標準を大きく踏み外した行動の代理体験を求めているわけである。
(柔軟性の鍛錬 p.665)

目次

序章 精神と秩序の科学
物はなぜゴチャマゼになるのか――確率論の基礎講義
フランス人の手ぶり――メタメッセージとは何か
ゲームすること、マジメであること――生のゲームとそのルール
知識の量を測ること――総点主義テスト教育の認識論的誤謬
輪郭はなぜあるのか――生きた世界の予測不可能性について
人が白鳥になる理由――バレーにおける隠喩と生と美
本能とは何か――動物研究の新パラダイム

第二篇 文化と型式
文化接触と分裂生成――関係の力学からの文化の総体を見る
民族の観察から私が進めた思考実験――科学とアナロジー思考
国民の士気と国民性――英米独各国民性の違いを科学する
バリ―定常型社会の価値体系――負のフィードバックを原理として作動する文化
プリミティブな芸術の優美と様式の情報――芸術の感動とはどんな情報伝達によって得られるのか

第三篇 関係と病理
社会計画と第二次学習――性格を形成する学習とは
遊びと空想の理論――「うそ」と「ふり」のパラドックス
疫学の見地から見た精神分析――人を分裂病に引き込むコンテクストを探る
精神分裂病の理論化に向けて――ダブルバインド理論の完成を告げる歴史的論文
精神分裂症の集団力学――スキゾフレニックな家族を捉えたパターン
精神分裂症の理論に必要な最低限のこと――ダブルバインド理論が隣接科学に迫る認識論的転換
ダブルバインド、1969――イルカ研究に基づく「創造的ダブルバインド」論
学習とコミュニケーションの階型論――ベイトソンの学習理論の集大成
「自己」なるもののサイバネティックス――アルコール依存症を助長する関係性、それを治療する関係性

第四篇 情報と進化
生物学者と州教育委の頭のからっぽさについて――進化論教え方についての提言
進化における体細胞的変化の役割――ラマルクとダーウィンの対立を止揚する
クジラ目と他の哺乳類動物のコミュニケーションの問題点――海中環境における高度な非言語的コミュニケーション
「ベイトソンの分肢則」再考――個体発生における情報伝達とその異常

第五篇 生命と認識
サイバネティックの説明法――意味とは何か
冗長性とコード化――コミュニケーションの発生と進化
目的意識対自然――文明システム破壊の可能性
サイバネティックスの説明法――「意味」とは何か
冗長性とコード化――コミュニケーションの発生と進化
目的意識対自然――文明システムの破壊の可能性
目的意識がヒトの適応に及ぼす影響――破壊を救うべき「叡智」をシステム論から定義する
形式・実体・差異――「精神生態学」の完成

第六篇 文明と健康
ヴェルサイユからサイバネティックスへ――今世紀に起こったもっとも重要な二つの事件
エピステモロジーの正気と狂気――「パワー」と「コントロール」の神話を撃つ
環境危機の根にあるもの――ハワイ州上院の委員会に提出した「証言書」
都市文明のエコロジーと柔軟性――精神生態学の視点から環境プランニングを論じる

第1、第3水曜日 20:00〜21:30
素人の乱12号店|自由芸術大学
杉並区高円寺北3-8-12 フデノビル2F 奥の部屋

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