大正8年(1918)に上野公園にあった公営の「竹の台陳列館」で開かれた二科展に出品した林倭衛の『出獄の日のO氏』が警視庁による撤回命令を受ける。それまでも美術展覧会における撤回命令はあったが、主に裸体画などの風紀紊乱に問われたものであった。この一枚の肖像画撤回命令によって思想弾圧として絵画が取り締まられることになる。同じ年に開かれた「黒耀会展」でも撤回命令や改題命令がなされている。21世紀の今現在だが、2014年のろくでなし子、鷹野隆大の風紀紊乱(わいせつ物頒布、わいせつ物陳列)による事件に続き、2017年4月22日から群馬県立近代美術館で開かれている「群馬の美術2017」で展示予定だった、白川昌生の『群馬県朝鮮人強制連行追悼碑』が美術館館長指導で解体撤去された。わたしたちはどうやら百年前の大正時代に引きずり戻されているようだ。この検閲に対する抗議と要請を自由芸術大学でのレクチャーも行っている小倉利丸さんがブログで発表しているので、ぜひ読んでほしい。